よい手本を求める生き方
自分は人の良い所を真似れるなら、どんどん真似ていくタイプだと思う。
今の会社に入って学んでこれたことは結構あるんだけど、正直言うと自主的にやってきたというよりかは他者の良い部分・面白そうな部分をトレースしながら物事を学んできていると思う。悪く言えばパクリ、良く言えばインスパイアのそれです。
今までは当たり前だと思っていたやり方も、所変われば「何でそんな非効率なことしているの?」と疑われることもザラで、いわゆるそれが真実だと疑ってやまなかったことが他に入ってそれが異質だったという事実に気づくなどのカルチャーショック的な事は多々ありました(もちろんこういうのはどう?と提案してそれが受け入れられたことも一応はある)。
入社した当時、ビルドツールとしての gulp はすごいと思っていたけど、やっぱり流行りの webpack が性に合っていたとしたらそれはそれですぐ鞍替えするだろうし、とにかく自分にしっくり来る新しい何かがきたら自分はそれに従うようにしてきている。
なんて主体性のない生き方なんだ、と思われる方もいると思うがまったくもってその通りである。だが大体の人は非凡であるがゆえ、ある優れたやり方をトレースしながらでしか生きていかないのではないかなと思う。もしくは人の意見などに左右されず主体的に生きている人などそんなに居るのだろうか、などと責任転換してみたり。
ともかく、自分は良いものがあればそれにすがりたいし、それをベースにしてどう派生させてゆくかなどを考えることが一番性に合っているやり方だし、これこそが自分の本質なんだなと分かるようになってきた。自分はよい手本を求めて生きている。
それで何故そういうことを思い返してきたかというと「こういうのがあるのですごく楽なんだよ」と教えたつもりでも、それをやらず自分のやり方を貫いている人がおり(正直いうと非効率ではあるが)、ああこの人は自分とは違う価値観なんだなと思うような出来事があったからで、それは別に歳が若いとか経験が浅いとかではなく、この人は自分と違うからこそそういう時にそういう行動を取るんだなと自分の中でも学びがあったからなのです。
何が良くて何がダメなのかが混迷を極める昨今、自分が何を依代にして生きているのか、何を信じて生きているのか、そして自分自身は何がしたいのか、ということを改めて考えたりなどする夜です(この文章は 50 度のウィスキーを呑みつつ書いております)